Konan Girls Go Abroad

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VOL.35 中間報告書

【掲載日】2011/2/17

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【DATA】
インドネシア政府奨学金ダルマシスワ/認定留学

【profile】
文学部/多文化共生学科(現:多文化コミュニケーション学科)4年/福島 由佳

 インドネシア、ジョグジャカルタでの生活も半年が過ぎました。ここに来るまでの自分の心境を振り返ると、出発前には「留学前ブルー」とでもいうのでしょうか。「本当に日本は発展した国で何一つ不自由がない快適な国だ。一方自分がこれから住むインドネシアは途上国できっと不自由な事ばっかりだ。ただでさえお腹が弱い私。どうやって衛生状態が良いとは言えない国で一年間過ごすのだ。」と自分に問いかけ続けての出発となりました。元々半年の留学を希望していたが一年の留学期間となったという所にもその不安要素があったと思います。そんな気持ちで出発したために、もちろん留学期間中もカルチャーショック等に陥るだろうとある程度覚悟をしての出発となりました。

 ずっと日本で先生から「3カ月目までは本当につらいだろうけど、先輩たちが皆言っていたように、3カ月目からは言葉が理解できるようになって、本当に楽しい日々が送れるだろうから、それまで堪えて頑張ってね。」と言われていたのですが、インドネシアでの生活を開始し、余りにもインドネシア語が出来ない私は、「先輩のように3カ月目には言葉が聞き取れて、理解できるようにならなければならないのだ。」という焦りに変わりました。しかし私の言語環境は有難いことにとても整っていて、教材を使って勉強をした後、メモとペンと辞書を握りしめ、家の前のワルンでインドネシア人と話す。発音を直してもらったり、出来るまで何度も繰り返し聞いてもらったり、分からない単語はすぐにメモをする。という毎日の繰り返しでした。多い時は5時間6時間ワルンで話すこともありました。通りがかりの人が、私の発音が面白いからと続々と集まってきたり、10人以上のインドネシア人に囲まれて毎晩発音の練習をしたり、本当に日本ではありえないことの連続でした。

 例えば、日本でお店に入って「いらっしゃいませ」と言われれば大部分の人は何も聞こえなかったかのように自分の目当ての所に一直線で進んでいきます。電車の中で他人と目が合えば、「見てないわよ」と言わんばかりにすぐに目をそらします。しかしインドネシアではどうでしょうか。お店に入るときに「どうぞ~」と一声。必ずお客さんは「はい」「ありがとう」なんらかの言葉を返します。どこかで誰かと目が合えば、全然知らない人なのに「ハロー」「どこに行くの?」「道わかる?」絶対に知らないフリはしません。道を聞けば、「すぐ近くだから一緒にいってあげる!」と送ってくれたりします。もちろん良い人ばかりではありませんが、本当に人情に厚い人が多い国だと実感しています。これは本当に国民性だと私は思っています。

 このようにインドネシア語を勉強してきた私ですが、ここに来てからこれ以外にも色々な勉強方法を試してきました。言語の勉強にゴールは無いと言いますが、1月にジャカルタに受けに行ったインドネシア語検定でそれを思い知らされました。日本で受けて不合格になって以来、受けていなかったD級。インドネシアに来てから5カ月。簡単に感じる事が出来るほど、インドネシア語が出来るようになりました。その反面同時に受けたC級はこんなに勉強して、インドネシア人とばかり一日中話して生活していたのに未だにこんなにも分からないのか。と脱帽しました。しかしインドネシア人とばかり居たためか、日本で一番出来なかったリスニングは本当に今では得意になりました。この検定を受けたことで、自分の勉強法をこれからどのように変えていかなければならないのかが少し見えてきました。

 今私がインドネシア語の勉強と同時に行っているのが、卒業研究です。せっかくインドネシアで生活しているのだから、日本と違うところを沢山見たい!むしろ日本とは全く違うところばかりだ。との思いでジャカルタでは「タマンミニ」という民族公園に行きました。テーマパークに一人で来たの?と驚かれましたが研究です。そこで、インドネシア各地の建物や民族衣装をみたりしました。またジョグジャカルタに帰って来てからは友人に「タマンピンタール」という公園に連れて行ってもらい、ガムラン楽器やバティクを見てきました。12月末に、部屋にこもって勉強してばかりではもったいない!と突然始めたフィールドワークですが、順調に進んでいて充実しています。

 半年の間に、日本での私の生活では「ありえないこと」の連続でしたが、その中でも私が一番記述したいことがあります。インドネシアでの天災のことです。私がジョグジャカルタに住み始めて最初の天災は地震でした。日本でも地震は頻繁にありますが、インドネシア人は地震があると私たち日本人と違い、揺れ始めた瞬間に猛スピードで外に出ます。初めてその光景を見た時、本当に驚きましたが日本とは建築の強度が全く違うため中に居るよりはまだ安全だと教えてもらい妙に納得しました。またインドネシアは電気事情も悪く、快晴の日でも停電になったり、雨の日は必ず停電になるので週に5回一日5時間、6時間停電というのにもいい加減に慣れてしまいました。そして忘れられない体験になったのがムラピ山の火山噴火です。すごく不安な日々だったと記憶しています。降灰がすごい量で、不安で寝られなかったり、これからどうするかを話し合ったり、避難する当日はジョグジャの変わり果てた街並みを見て本当に涙が止まりませんでした。その時、「すっかりこの街に慣れ親しんでいたのだな」と実感しました。友人を沢山置いての避難で心苦しい避難となりました。今はムラピ山の2次災害と洪水で、未だに平穏は訪れずといった状況です。

 最後に、こちらに来てからの自分の吸収の速さと順応性の良さにとてもおどろいています。カルチャーショックを受けても次に同じ場面に遭遇すれば自分もインドネシア人と全く同じように行動していたり、一番心配していたお腹も今では10円の紅茶を飲んで、40円のナシゴレンを食べても何も起こらない程適応したりと肉体的にも順応してきたと実感しています。

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